必殺仕事蜘蛛

この間、もう寝ようという時に、やたらと大きくて細い線のような蜘蛛が出た。

気になって調べてみると、アシダカグモというらしい。その大きさにビビッて、夫に窓から放ってもらったのだが、益虫だということだった。なんとゴキブリを食べてくれるし、アシダカグモが2匹いれば家中のゴキブリを食べつくしてくれるとのネット情報を嬉々として夫が教えてくれた。しかも、その強さ故、「軍曹」と呼ばれているとかなんとか。それは、強そう。

ゴキブリを食べつくしてくれるのであれば、惜しいことをした。ここの所、隣りの住宅がリフォームか何かをしているらしく、工事の音がしているし、ついでに先月は小さなゴキブリが我が家に出た。

リフォームが気になるのは、引越しやリフォームや大掃除などしていると、その家にいた虫たちが近隣に逃げると聞いたことがあるからだ。引っ越してきてまだ半年も経たないのに我が家に出たので、リフォームを疑っている。

願わくばもう一度我が家に戻ってきて、ゴキブリを食べつくして欲しい。でもアシダカグモ自身もデカくて視界に入ったら無視はできないので、私の眼に入らないところで暗躍して欲しい。
都合が良いなぁ。

 

映画を観た

 今日は日がな一日雨降り。

 数日前から一気に秋めいて、衣替えの必要をなくしたタンスだけれども、寝具の入れ替えなどを始めたりなどした。

 世間様は三連休らしいが、暦を気にするのはコンクリートジャングルに帰省する時だけとなって早3か月が経っているのであまり関係ない。でも何かしら家に引きこもり過ごす休日らしいことをしたくなって、映画を見た。『リリイ・シュシュのすべて』という映画だ。公開されたのはだいぶ前だが、岩井俊二監督の新作公開記念で、YouTube上に期間限定で公開されていた。

 岩井俊二監督の世界観が好きだと聞いてもいないのに、声高に言っていた同級生を思い出した。蒼井優が好きで、彼女自身も当時の蒼井優よろしく髪を長く伸ばしていた。作品の中で描きだされる、思春期の少年少女たちの暴力性、その理由のなさ。そして、鈍感で、無責任な大人たち。息が詰まるような学校という密室空間と、一歩外に出ればどの生徒がどのような放課後を過ごしているのか把握することはできない。この映画で描きだされた世界と、当時の彼女の理由のない暴力性がリンクした。彼女の気分で訪れるいじめ、無視、ハブ。ターゲットにされている時は、「またか」と過ぎ去るのを待ち、過ぎ去ればそれは過去のことですらない。あったかどうかわからないほどにあっけらかんとした、友達付き合いがまた始まる。

 部活動が主な関係の場だったため、受験を機に部活を引退してからは、あんなに振り回されていた日々が嘘のように全くの交流が途絶えた。彼女は違う同級生と密着した関係性を築き、卒業まで私が再び感情の波に弄ばれることはなくなったが、その時の肌感覚や温度が、あの映像でまざまざと思い出された。

 映画の内容云々よりも、懐かしい、と思った映画体験だった。それでも観終わって、疲れた感覚がなく、どこか腑に落ちるような感覚を抱いたのは、自分があの過去を過ぎ去った事として消化したからかもしれない。これを「許す」というのかな。だとすると「許し」は、やはり時間を伴うし、何度も思い出して、場合によっては違う原因を見出して、もう触っても傷つかない鈍にしていくために触り続けた上で、ある日ゆるやかに達成するものなのかもしれない。

 そんなことを考えた。

 今日はカレーだ。

 

お湯で痛む胃

白湯をはじめてみた。

なんでも初めてみては自然に忘れていくのを繰り返しているが、これはいつまで続くだろう。

きっかけはお腹の不調だ。水分は一日に充分なほど飲んでいるはずなのだが、どうにも便通がよろしくない。白湯は便通にも効くらしい。

ただ、早速はじめた数時間後に、激しめの胃痛で寝込んだ。気圧にも弱い体質のため、その可能性もあるが、あったかいお湯を飲んだ後に胃痛とは、なんともはや。

不健康これに極まれり。

寝込んでお昼ご飯をすっ飛ばした。白湯にはダイエット効果もあるらしいが、こういうことではないのは承知している。

白湯よ、私に健康を。

 

新しいが疲れる

最近、見る元気がどっと減った。映画やらドラマやら、見る元気がない。全く見ないかと言うとそんなことは全然なく、ひたすらYouTubeを流している時もある。むしろ多い。

ただ、新しいものが見られない。

新しいチャンネル。新しい作品。新しいストーリー。新しいということが私の元気をなくす。展開が全てわかっており、何度も見た『そして誰もいなくなった』をこの間も再見した。

iPhoneも新しい機種には変更せず、型落ちのものに常に買い替えてきたし、新デバイス、新コンテンツ、新しいものへの警戒感がある。

こういうやつが歳をとると居酒屋で若い人に昔話やら、講釈を垂れるのだろうな。

あぁ嫌だ。