映画を観た

 今日は日がな一日雨降り。

 数日前から一気に秋めいて、衣替えの必要をなくしたタンスだけれども、寝具の入れ替えなどを始めたりなどした。

 世間様は三連休らしいが、暦を気にするのはコンクリートジャングルに帰省する時だけとなって早3か月が経っているのであまり関係ない。でも何かしら家に引きこもり過ごす休日らしいことをしたくなって、映画を見た。『リリイ・シュシュのすべて』という映画だ。公開されたのはだいぶ前だが、岩井俊二監督の新作公開記念で、YouTube上に期間限定で公開されていた。

 岩井俊二監督の世界観が好きだと聞いてもいないのに、声高に言っていた同級生を思い出した。蒼井優が好きで、彼女自身も当時の蒼井優よろしく髪を長く伸ばしていた。作品の中で描きだされる、思春期の少年少女たちの暴力性、その理由のなさ。そして、鈍感で、無責任な大人たち。息が詰まるような学校という密室空間と、一歩外に出ればどの生徒がどのような放課後を過ごしているのか把握することはできない。この映画で描きだされた世界と、当時の彼女の理由のない暴力性がリンクした。彼女の気分で訪れるいじめ、無視、ハブ。ターゲットにされている時は、「またか」と過ぎ去るのを待ち、過ぎ去ればそれは過去のことですらない。あったかどうかわからないほどにあっけらかんとした、友達付き合いがまた始まる。

 部活動が主な関係の場だったため、受験を機に部活を引退してからは、あんなに振り回されていた日々が嘘のように全くの交流が途絶えた。彼女は違う同級生と密着した関係性を築き、卒業まで私が再び感情の波に弄ばれることはなくなったが、その時の肌感覚や温度が、あの映像でまざまざと思い出された。

 映画の内容云々よりも、懐かしい、と思った映画体験だった。それでも観終わって、疲れた感覚がなく、どこか腑に落ちるような感覚を抱いたのは、自分があの過去を過ぎ去った事として消化したからかもしれない。これを「許す」というのかな。だとすると「許し」は、やはり時間を伴うし、何度も思い出して、場合によっては違う原因を見出して、もう触っても傷つかない鈍にしていくために触り続けた上で、ある日ゆるやかに達成するものなのかもしれない。

 そんなことを考えた。

 今日はカレーだ。